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三十路女-タムナスの挑戦-前編

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三十路女の挑戦
  
受験4回 37歳 大原(簿記のみAXL)タムナス

<プロローグ>
 わたしが会計士の勉強を本格的にはじめたのは、32歳の初夏です。当時私は既婚で子供はおらず、小さな社団法人で経理をしていました。もともと会計とは全く無縁で関心もなく、大学時代はまさか自分が公認会計士を目指すなど考えもしないことでした。
 大きな志があったわけではなく、必要に迫られたわけでもないのですが、ふつふつとチャレンジしてみたくなったというのが正直なところです。わたしは前の年に不動産鑑定士の2次試験に合格していて免除科目があったので、つい欲が出たのだと思います。数字が苦手で数学も大嫌いだったのによく会計士になろうと思ったものだと後から苦笑いしています。

<1年目>
 受験をはじめるのに、まず予備校選びが必要ですが、わたしは初年度LECを選びました。LECは戸原講師、野坂講師といったその道のプロがいる予備校と思ったからです。しかし、残念ながら講師の移動は激しく、入門を終える前に戸原講師はLECを離脱していました。わたしはお目当てだった戸原講師のレクチャーを一度も受けることなく、LEC本コースを終了しました。

 わたしの入門期は、すでに終了してしまったレクチャーを土日にビデオブースで受講しつつ、最後発の夜クラスにも顔を出すといったふうでした。8月までは働きながらでしたし、だいぶ遅れていたのでおとなしく一人で勉強していました。友達からの情報が入ってこないので、ついネットの画面にはりついて会計士受験用サイトを念入りにながめたりしていました。そこで、幸いにも「Spok‘s Log」に巡り合えたのです。

 「Spok‘s Log」はこのサイトの管理人さんであるスポックさんのルーツをたどれるサイトで、どこもかしこもスポック氏一色です。個人的にはこちらのサイト、大好きで大変オススメです。ただ私の場合、勉強法が参考になったというよりも、スポックさんの受験に対する取り組み、その思考回路を垣間見せていただき、モチベーションをあげてもらったという効果のほうが大きいです。もちろん、できる範囲でまねっこしようと努力はしていましたが‥‥。
 
 私の1年目は簿記にも原価計算(現在の管理会計にあたる)にも大変苦戦していました。簿記の早朝答練に出席しても、できる処理が少なすぎて手持ち無沙汰になるため、数回で答練を受けるのをやめました。原価計算は製品別計算からわからなくなって、意思決定以降のレクチャーさえ断念しました。簿記はとにかく範囲が広すぎ、原価計算は難解すぎてゲンナリしていました。

 それでも自分なりに簿記から離れず、基本問題をシコシコ解いたり、日商1級の原価計算を網羅的に学習したりしてどうにか途中下車しないで勉強を続けました。この年はTACがやる短答前の論文式全答練を受けました。計算2科目はお話にならないのですが、理論科目は年明けくらいから追い込んだにもかかわらず、平均点を超えていました。理論科目って費用対効果がとてもいいと驚きました。
 短答直前期はせっせと理論を暗記して、はじめての本試験に臨みました。結果ボーダー1点下で短答式試験敗退でした。簿記4点が痛かった。やはり簿記をどうにかしないと合格は遠いな、という感想でした。

<2年目>
 2年目は大原の上級フリープランに移ってリスタートしました。自分の苦手科目は基本レクチャーから、得意科目は圧縮レクチャーで、とかなり自由にカリキュラムを組めるのが魅力でした。私は落ちこぼれていた簿記と原価計算を一部入門クラスに戻って受講しました。大原は質問体制が他の予備校と比べものにならないほど、充実しています。職員室あり、フリーダイヤルありで、疑問に思ったらすぐ講師に質問できるのです。物分りの悪いわたしには大変ありがたい学校でした。

 2年目は多くの受験生にとって一番勉強量を増やせる脂ののった時期ではないでしょうか?わたしもようやく、試験範囲の全体が見えてきて、成績がぐんと伸びました。ひどいスランプにも陥らず、まだまだ新鮮な気持ちで勉強に取り組むことができました。ひょっとすると合格できるかもしれない、そんな期待が広がっていきました。

 わたしは2年目も簿記が大の苦手科目でした。簿記の範囲は膨大で、かつ処理スピードの速さが求められます。なんとも相性の悪い科目でした。1年目の時、理論科目は計算科目に比べてずっと短期間で仕上がること、多くの受験生は理論をあまり突っ込んで勉強していないことを強く感じていました。わたしは苦手科目の簿記を克服しなくても、他の理論科目を得意にして簿記を補填すれば総合点で合格できるのではないかという甘い考えに支配されるようになりました。簿記の総合問題を解くのは骨がおれてキライでした。今まであまり使ってこなかった脳の筋肉を酷使している気がしました。反対に暗記はさほど苦にならない性質でしたので、理論科目について守備範囲を広げていきました。今にして思えば、自分にとって楽なほうに流され、苦手科目と向き合うことを回避していたのでしょう。

 2年目は人一倍勉強した理論科目のおかげで短答式試験を通過し、論文へ進みました。しかし、実力としては簿記が相当に力不足だったと思います。論文式本試験では簿記のあまりのできなさに頭を抱えてしまいました。問題演習をしっかりこなしてきたという自負もなく、試験終了後は後悔ばかりが押し寄せ、なんの解放感に浸ることもできませんでした。

<3年目>
 3回目のチャレンジの時は、「簿記の演習を逃げずにやろう」というのが一番の決意でした。簿記をどうにか人並みにもっていければ合格が見えてくると思っていました。わたしはスポックさんの簿記に関する勉強法を入門生の頃から知っていて、できそうなところは取り入れていたつもりでした。
 しかし、3年目はスポックさんが指し示す方向とは反対に向かって走り出したように思います。簿記の総合問題をとにかく解き散らかす、といった勉強法です。これは気合さえあれば、実行しやすいのですよね。1日3問は簿記を解く、お正月休みには朝から晩まで簿記を解く、そんな勢いでした。3回目でしたので、他の科目はある程度、ほっておいても大丈夫だと高をくくっていました。

 年内はそれで十分でしょうし、年明けも3月ぐらいまではそれでよかったのかもしれません。しかし私は、いくら簿記演習を繰り返してもそこから抜け出ることができなくなっていました。1日3問くらいは解かないと、すぐにどこかの分野を忘れました。直近に解いた問題に近いものが答練で出題されればそれなりに点になりましたが、しばらく離れていた分野、初見に近い問題では簡単に平均点を割りました。いつしか簿記恐怖症になっていた私は、いつまでも簿記演習から離れられず、ひどく全科目のバランスを欠いた勉強に陥っていきました。

 さらに大原2年目の私は、大原の問題に慣れてきてしまい、答練では自分の実力が計りづらくなっていました。つまり、短答答練の順位がよかったので、長期記憶が難しい短答知識のアップデートを怠ってしまうという過ちを犯しました。

 短答式本試験当日、私は本試験に臨む受験生にしては、ずいぶんリラックスしたものでした。「短答はいけるだろう、いつもどおりにやればいいだけ」そう感じていたのです。本試験がはじまると、本試験問題の解きにくさに辟易とさせられました。時間配分が狂いっぱなしのまま無情にも3時間はまたたくまに過ぎ去りました。それでもボーダーくらいは超えるだろうと思いました。本試験会場から大原へと直接向かい、解答速報を受け取ると即座に自己採点をしました。簿記4点に息が止まりそうでした。答えが定まっていない問題を除いて、33点でした。前年のボーダーは35点。当日受けた感触ではボーダーが上がることはあっても下がることはなさそうな問題に思えました。

 私は全く打ちのめされてしまいました。

 「そんなばかな、こんなにあっけなく終わってしまうなんて‥‥」青ざめた顔で電車に乗り家に帰りました。とても食事がのどを通るような状態ではありませんでした。わたしは泣きじゃくりながら、自分がどんなに会計士になりたかったかを夫に訴え、また、短答にも受からない自分は、もう勉強をつづけてはいけないと人間だと語りました。夫の答えは「そんなに会計士になりたい気持ちが強いとは思ってなかった。そんなになりたいなら、なぜもっと努力しないの?確かにあなたはセンスのある方じゃないけど、センスがなくてもひとの2倍3倍努力して合格していく人はいくらもいると思うよ。」でした。

 暗闇に突き落とされたような夜になりました。これが悪い夢であってくれたらと切望しました。けれど、夜が明けても33点は現実でしかありえず、もう私にはどうすることもできないのでした。

 翌朝、わたしは重たい足を引きずり、田舎に向かいました。電車に揺られながら「割れ問が全員正解になりボーダーが去年より1点下がれば合格だな。まあ、そんな奇跡は起きないか‥‥」そんなことをぼーっと考えていました。
 数日後、割れ問が全員正解となり、ボーダーも去年より低くなりそうな雲行きでした。わたしは合格発表まで論文の勉強を続けなければと決意し、勉強を再開しました。精神的に本当にきつかったです。決して高くない論文式試験への可能性にすがるしかない日々。それでも可能性があるうちは自分から降りてはいけないと思い、どうにか机に向かい続けました。

 そして合格発表の日、わたしは金融庁までみにいきましたが、わたしの名前はありませんでした。自己採点の点数は34点で合格点は34点と公表されていましたが、わたしは落ちていました。マークミス???いえ、金融庁の公表した答えが予備校の答えと違っていたのでした。「こんなことってあるんだ、これも奇跡といえば奇跡だよね」そう思って私は泣くより怒るより、アホらしくなって苦笑いしました。こんなことで、わたしのこれまでの努力や夢が吹っ飛ぶことがこっけいだったのです。

 わたしは、会計士をあきらめるべきか、もう一年やってもいいのか判断しかねて悩みました。無気力に時を過ごし、これまでの自分の努力を否定する思いに苦しみました。いろいろな方に助けられ、話しを聞いてもらって、だした答えは、再チャレンジでした。わたしには経済的にも精神的にもサポートしてくれる夫がいました。受験できる環境が与えられているのに自分からあきらめられない、そう思いました。

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このページは、spokが2007年9月22日 08:18に書いたブログ記事です。

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